タイトル、サクシャ、シュッパンシャ、を忘れずに・・・
| #2118 書き込み者名 フランコ将軍 HomePage [2005/04/03 19:50] |
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「ポル・ポト<革命>史〜虐殺と破壊の四年間」 山田寛 講談社選書メチエ
1975年4月、隣国のベトナム戦争が終わるのとほぼ時を等しくして、カンボジアでも内戦が終結。 アメリカの傀儡ロン・ノル政権を打倒したクメール・ルージュにより、新たな国家作りが始まった・・・・はずだったカンボジア。 しかしそこでまず行われたのは、約400万人もの都市住民を農村へ強制移動させることでした。 身動きのとれぬ老人・病人・怪我人・妊婦とて容赦なく移動させられ、2万人以上が移動の途中で命を落としたとか。 そしてその後も大量移動は3回ほど発令され、さらに多くの犠牲者をだすことに。 新生カンボジアの旅立ちは、多くの国民にとっての死出の旅となってしまいました。 こんな残虐なことをやってのけたクメール・ルージュの総帥ポル・ポトという人物は、とにかくナゾの一言でした。 内戦時には常にジャングルのなかに潜み、決して自ら表に出ることはなく、実権を掌握してからも、彼が本当のトップであるということは、世界中のほとんどが気づかなかったそうです。 しかしやがて、上はフー・ユオン、フー・ニム、ケオ・メアス、ネイ・サラン、チャン・チャクレイといった政権幹部たちから、下は名もなき幼子に至るまで、10万人以上を監獄で虐殺したことで、ポル・ポトという悪名は世界中に轟くことになります。 強制移住やその後の生活苦による死者を加えると、ポル・ポト政権の4年間での犠牲者は150万人ともいわれます。 結局ポル・ポトは、ベトナムにケンカを売って惨敗してあえなく権力の座を失い、再びジャングルの中へ潜り込みますが、そこでも相変わらず住民への虐殺は続いていました。 シアヌーク派やソン・サン派との三派連合政府でベトナムに対抗しようとするも、ポル・ポト派は国際社会から排撃されて進退窮まり、イエン・サリ、ヌオン・チェア、キュー・サムファンといった幹部たちが次々と投降。 最後は腹心のケ・ポクに裏切られて人民裁判にかけられたあげく、1998年にポックリとこの世を去りました。 権力の座を失ったポル・ポトは、80年代半ばにキュー・ポナリーと離婚後、30年以上年下のミヤ・ソムと再婚し、シットという一人娘を授かります。 「他人と協調できるいい子なんだが、勉強は学科によっては苦手なものがあるようだ。 私に似たのかもな。」 などと親バカぶりを見せていたという、最晩年のポル・ポト。 フランスへの留学→ジャングルでのゲリラ戦→プノンペンでの権力掌握→そして再びジャングルへ潜伏 ポル・ポトのこの長い旅での終着点が、家族の絆だったのだとしたら・・・・ 多くの犠牲者が余りにも浮かばれません。 旅といってもロクでもないテーマで申し訳ないです。 |
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この本を読み終えて
私はどんなことを感じるのかな、 そんな風に思える本です。 ******** フランコ将軍、こんにちは。 最近、読書の進みが遅い私です。 あっちを読み、こっちを読み、 読みかけの本がたまっているのでした!!! |
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