タイトル、サクシャ、シュッパンシャ、を忘れずに・・・
| #2144 書き込み者名 フランコ将軍 HomePage [2005/06/18 00:58] |
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「陸軍良識派の研究」 保坂正康 光人社NF文庫
ガダルカナル島での絶望的戦いの指揮官として、生存者1万5千人の撤退を取り仕切った今村均大将は、オーストラリアで戦犯として裁かれ、パプアニューギニアのマヌス島収容所で10年の禁固刑に服することに。 しかしジャワ島での占領行政を裁かれるためにバタビアまで護送されながら、穏健で非暴力的統治が評価され、判決は無罪。 マヌスでの刑期の残りは巣鴨プリズンにて服することになり、帰国。 ところが今村は「部下と共に服役させて欲しい」と要望、マヌスへ送り返されます。 これを知ったマッカーサーは、「日本にもまだ真の武士道が残っていた」と絶賛したとか。 他にも、海外に残された240万人もの将兵の帰国、さらには復員軍人の社会復帰に尽力した、下村定大将。 陸軍教育総監として、軍令と軍政の区別がつかない皇道派を粛清せんとしたことで、2.26事件で青年将校たちの凶弾に斃れた、渡辺錠太郎大将。 杜撰な計画で多くの犠牲者を出したインパール作戦で、負傷兵を置き去りにせずにいたわり、力尽きた兵たちを手厚く葬った、宮崎繁三郎中将。 ロンドン駐在武官として、駐英大使の吉田茂とともに戦争回避に尽力し、非戦闘員保護のために東条英機に学童疎開を提言した、辰巳栄一中将。 このように、日本を破滅に追い込んだ帝国陸軍にも少なからず存在した、良識ある人物たちにスポットを当てています。 意外だったのは、満州事変の主役として有名な石原莞爾少将や、開戦時に軍務局長として陸軍を牛耳った武藤章中将が、良識派に名を連ねていたことです。 東条の台頭とともに出世し、絞首台まで東条と運命を共にした武藤が、即刻米英と開戦を主張する参謀本部の幹部を「わしは戦争は好かん!」と怒鳴りつけ、ルソン島で孤立無援となった将兵たちをひとりでも多く救い出すために尽力したんだとか。 日中戦争の不拡大を主張する石原に対し、武藤は「閣下が満州でやったのと同じことをしたまでのこと」と一蹴し、ジャワで良心的な統治を行う今村とも対立。 良識があるといっても、戦地の指揮官と軍官僚では全く違うものだし、それこそ一人の人間としての良識とも意味が違います。 こうした異なった面での良識ある人々が、一つの力となって戦争を止めることができなかった。 暴走する組織の前に無力な個人という構造は、今の日本でも全く変わりません。 でもだからこそ、こうしたサムライたちがあの時代にもいたということを、忘れてはいけないということなんでしょう。 |
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